アイワナビーユアドッグ

夢は既に終わったものもあるけどね

↓web拍手 なにかありましたらお気軽にどうぞ☆



*

過剰に考えすぎとは思うけれども、最近の涼をみているとどことなく不安というか、むしろ恐怖すら感じることがたまにある。涼はもともと、自分の内心を表に出すほうではない。それがマイナスの感情ならなおさら。とはいえ、そんなに器用な人間でもないからその隙間に負の感情が透けてみえることも当然あったし、むしろそれが人間くさくもあってそういう瞬間に遭遇するとしょうじき安心していた。
いまの涼からそういう、隙間からこぼれ落ちるものを感じ取ることはできない。いつから、とか明確にあるわけではないけれど、気づいたらできなくなっていた。それは生身で対峙する現場がなくなって、編集された映像でしか接していないからなのかもしれないし、単純にあたしの涼にたいする興味関心が少し薄れたということなのかもしれない。それならばそれでいい。けれど、
涼はものすごく不思議なところがあって、自分が注目を集める側としてステージに立っているのに、なぜか立場が逆転して涼のほうが観客ひとりひとりに跪きサーヴィスする存在であるかのように感じさせる瞬間がある。いまの涼はそれがステージの上だけではなくて、アイドルとして活動している時間全体に及んでしまったような、そんな気がしてしまうのだ。。
パブリックイメージを満たすことを求められて、自分はそうじゃない!となるのはよくある話だし、振る舞いとしても理解しやすい。でも涼はそれと似てるようだけどそうではなくて、世間が涼に求めるイメージを無意識に取り込み内在化してしまうように思える。そう考えると、あたし(たち)が涼さまはいつも優しくて余裕があってなにをされても怒らなくて、、とか褒め讃えることが、結果的に涼の内心を覆い隠しいずれ爆発させることにつながってしまうのではないかと思い怖くなる。。度を超えたキャラクター性をまとうことを求めてしまっていて、そしてそれにたいしてあまりに無自覚なのではないかとか、、、涼は「世間のひとが思うアイドル像にはなれないかもしれないけど、ファンのひとを幸せにしたい」と言っていたけど、その言葉に涼自身が潰されてしまいやしないかとか、、、まあ杞憂だったらいいのだけど。過剰なサーヴィス精神が、逆に距離を遠く感じさせてしまうこともあるな。。とか思ったりするこのごろ。。。