アイワナビーユアドッグ

夢は既に終わったものもあるけどね

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ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い近藤隆文訳

いまさらすぎだろと言われそうですがすべてにおいていまさら人間なのでいまさらでも読むのです。
厚さのわりに文章はすごく読みやすくて読む手が止まらなくなるのだけど、それでいていたるところにあ。と思わず立ち止まってしまうような表現がちりばめられてる。たとえば主人公オスカーの祖父と祖母が出会うシーンでは同じ場面を書いているはずなのに祖父の側の視点と祖母の側の視点では微妙に表現が喰い違っていて、そこに違和感というかふたりのみている世界がじつは全然違うんだという悲しみを感じさせるし、オスカーの言動ははっきりいってクソガキそのものでしょうじきちょっとイラッとするんだけど、父を突然失ったショックがまだ癒えてないことや、ほんとうならこうしてやるのに!みたいな妄想がところどころに顔を出してて、むむーんとなってしまう。このホールデン・コールフィールドをより幼くしたみたいな主人公は元彼に似ていて(賢い少年っていうのはみんなこんなものなんだろうけど)少し嫌になった。。あと、"シイタケ"って英語になってるんですね!
オスカーがニューヨークじゅうのブラックさんを探して訪ね歩く冒険のパートだけでもおもしろいのだけど、そこに祖父と祖母の手紙が重なっていくことでより物語が重層的になっていく。終盤の祖父の手紙で祖父が祖母に電話をかけるところからの、物語そのもののクライマックスが視覚的に表されてるところはもうただただ圧倒された。。電話番号を表す数字の羅列(でもそれはもはや意味がわからない)が延々続き、そのあと手帳の紙幅が足りないためにどんどん文字が小さくなっていき、しまいには重なり合いすぎて真っ黒になるのだ。
ラストは大団円っていうわけでもないんだけど、というかべつに状況がなにかすごく変わってるわけではないのだけど、だからこそ確実にオスカーが少し大人になったのだと思ったし、読み終えたときにはどっと疲れていたけど、同時によくわからない解放感というか解脱感?みたいなのもあった。これは最後のパラパラ写真のおかげもかなりあると思うから、kindleじゃなくて本で読んでよかったな。
祖父と祖母のおたがいのことを考えてると思ってるからこそのすれ違いもそうだし、オスカーにしてみれば途中でいろんなことが謎や疑問となってるけどそれが大人からしてみれば謎でもなんでもないように、視点が違うといろんなことの感じ方も違うよねっていうこともテーマのひとつなのかなあと思った。、、本の感想書くのむずいなー。。『ヒア・アイ・アム』もおもしろそうだったので次借りてこよう。