アイワナビーユアドッグ

夢は既に終わったものもあるけどね

↓web拍手 なにかありましたらお気軽にどうぞ☆



*

人気のあるジャニィズJr.はみんなエンタメ小説的だなとおもう。わかりやすい起承転結のついたストーリーを自己プロデュースできる子たち。それでいてここからなら乗り遅れずに間に合いますよ!というポイントもつくることができる。みんなミステリアスよりも安心を欲してる。ちょっとしたスリルはありつつも極端に物語を壊すようなできごとは起こらないし、不要な情報は削ぎ落とされ、だれがみても同じ物語を共有することができる。それはだれにでもできることじゃないし、ほんとうにほんとうにすごい能力だと心から感心する。
いっぽうで実験小説的なジャニィズJr.というのも存在しているはずだ。そこにはぱっとみでだれにでもわかるような共通の物語がない。本人にそれを提示するという発想がない。ついでに言うとギミックの存在ばかりがむしろ独り歩きして肝心の内容に触れられることが少ないこともままある、それは本質ではないのに。執拗にその発言や文字にならない言動を追うことによっておぼろげな全体像がみえなくもないが、はたしてそれはひとつの側面でしかないかもしれないし、読者が違えばまた違った読み方が現れるかもしれない。それはつまり自己プロデュース力がないってことなのかもしれないけど、あたしはそういう子にこそ魅力を感じる。わかりやすいもの、万人の解釈が一致するものはたしかに強烈な力をもつけれど、かんたんに理解できるものに興味はわかない。
涼は自分の物語をつくりあげることを放棄している。だからそれが欲しかったらこっちで勝手に読み取るしかないのだけど、そもそも"物語"なんて必要ない。そんなものくそくらえ。複雑怪奇な思考の流れを整理することなど不可能なように、むりやり整えたあらすじを作り出すことなどなんの意味もないし、たとえそれができたとしてもその時点でそれは本質から大きく外れたものになってるだろう。だからわれわれは結局涼という安易な理解を拒む存在をただあるがままに受け入れるしかないのだ。ああ、なんてすてきじゃないですか?
もちろんこれもあたしからみえる姿なだけであって、無数の涼の像のひとつにすぎないけど、そんなにも無数の像が存在するということにもぞくぞくしてしまうね、、そもそも涼のことを考えることはそれだけであたしにとって(この表現には多少語弊がありますが)神学的であり、言語哲学的であり、実験小説的でもあり、けれどそんな思弁のどれもがいざその姿を目の前にすると吹っ飛んでしまうくらいに暴力的でもあって、ついうっとりとしてしまう。だからここに実験小説やスペキュレイティヴ・フィクションの感想を書くことも究極的には涼のことをあれこれ考えることと変わらないのです。
ちなみにいまのままでも全然人気あるけど、もし作間にエンタメ小説力があったら本気で天下とってたと思うな。。