アイワナビーユアドッグ

夢は既に終わったものもあるけどね

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ジョナサン・サフラン・フォア『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』近藤隆文訳

はーーーのめり込むように読み終えてしまった。。
アレックスの本人はいたって真面目なのにへんてこな文体や、おたがい相手の言語に堪能でないゆえに微妙にすれ違い続けるアレックスとジョナサンのやりとりはドタバタ劇的ですらあるし、ジョナサンの手によって書かれる祖先の物語も言葉遊びがちりばめられたシュールな寓話的世界観で、でもそれが交互に繰り返されて引き込まれてるうちにだんだん物語に緊迫感が漂い始める。『ものすごく〜』でも喋れないオスカーの祖父が電話のダイヤルを延々と続けるシーンが印象的だったけど、今作でも祖父の意識?が封印していた過去のできごとを堰を切ったように話し出すところや、爆撃の瞬間を大量の点で表してるところでもう、おおげさでなく圧倒され、息が苦しくなった。
この話は単純なロードムーヴィー的ストーリーにすることも可能だったはずで、なのにそうではなくちょっと不思議な構成になってる。たとえばブロドが望遠鏡で覗く書物は、数百年後の書物に書かれてる自分にかんする記述だし、まあこれはそういう世界観だからわかるとしても、旅の途中でアレックスが読むジョナサンの日記はなぜか最後に出てくる、アレックスの祖父がジョナサンに宛てた手紙の一節になってる。つまり物語のこの時点ではまだ起こっていないできごとが書かれてるわけで、ここはかなり混乱だった。『ものすごく』では視点は複数あれど、それぞれの話は一方向に流れててこういう時系列の混濁はなかったので。。これはいったいなんなんだろう? 後半でも実際に喋ってるのと同時に意識?というかなんだろうか?どうしでも会話してるし、ちょっと実験的。
祖先の物語はジョナサンが書いているし、旅の手記はアレックスが書いていて、それをおたがいに読ませ合ってるのだけど、それはつまりこの小説全体が作中作ってことで、ある意味アレックスは信頼できない語り手ともいえる。最初のほうを読んでるとアレックスは毎晩のようにナイトクラブに行って女の子にモテまくりのいまどきのちょっとちゃらい若者みたいに思えるけど、じっさいにはナイトクラブなんて行かないし女の子とも全然縁がない。手記に書かれてるアレックスは理想化されてるのだ。でも時間が進み、アレックスの英語力(訳で読んでるから日本語なんだけど)が洗練されていくにつれ、のんきにアメリカに憧れる若者から真実を知り受け入れて生きていこうとする青年へと変わっていくのがその文体でも自然に表現されてる。
手紙もそうだし、戯曲や辞典のパロディめいた部分もあり、突然記憶の家系図みたいなのがはさまったり、いろんな文体が入り乱れるのは純粋に楽しい。それを読みにくいと感じるひともいそうだけど。あと単純に訳がすごい! これは『ものすごく』でも小学生が知らないであろう漢字はひらがなになっててそのこだわりにびっくりしたのだけど、こっちは意味は通じるけど絶妙にとんちんかんな単語とか文法で書かれた文章っていうより難易度の高いことが行われてる。でもこの文章がほんとに癖になるんだよなー。
というかそもそも全体として言葉選びがいちいち魅力的すぎる。まず目次を眺めただけでもひとすじなわではいかないというのがわかるし、個人的には「コルキ人」ってそれ名前だったの?笑、ってなった。読んだひと全員声に出したくなるであろうサミー・デイヴィス・ジュニア・ジュニアは言わずもがな、登場人物みんな名前のセンスが独特というか、それぞれが勝手に自分の思う名前で相手を呼んでてそれがおもしろい。"名前"はけっこうテーマのひとつかも。
あと好きなのはついに真実が明らかになる章のタイトルが「照明」ってとこです。ふつうだったらこの言葉はそういうふうに使わないけどでも意味はわかるからまさにアレックスが使いそうって感じるし、この小説のタイトルとも呼応してて好き。ていうかまずこのタイトルからしてかっこいいよねー、、!
祖父の手紙が最後にあることによってほんの少しだけ救われたみたいな気持ちで終われたのがよかったけど、それにしても続きが気になって読む手が止まらないのに読後感はずっしりとしてる不思議な小説だった。。でもまちがいなく自分内好きな小説ベスト10には入る! 『ヒア・アイ・アム』もはやく読みたいが、読んだらもう邦訳されてる作品ないからもったいない気持ちも。。