アイワナビーユアドッグ

夢は既に終わったものもあるけどね

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B・S・ジョンソン『老人ホーム』青木純子訳

8人の老人+寮母のあるひとときの風景が描かれてるのだけど、1人につき30ページが割り振られてて同じページでは同じできごとが起きてる。言うならば、本来9枚のレイヤーをぜんぶ重ね合わせてひとつの絵になるんだけど、その1枚ずつだけをそれぞれみせられてるみたいな感じ。それぞれの文体はザ・意識の流れ系で、文章が行の途中から始まったり空白が何行も挟まったりするのもそういうのを表してるだけかなと思いきや、ほかのレイヤーに重ねてみると会話が浮かび上がってきておお!となったりならなかったりする。最初よくわからなかったんだけど、ふつうの字は思考で太字になってるのが実際の発語っていうのを知ったらすらすら読めた。
ほぼほぼ死に近づいているスタントンさんのページとかはほとんど空白なんだけど、断片的に現れる単語が旧字体かつ文語チックになっていて、老人たちのなかでもさらに年老いてるってことなのかなと単純に思ってたけど訳者あとがきによるとこれはウェールズ語で思考してるのを表してるっぽい。そしてスタントンさんは一言も発しないけど、じつはアイヴィの問いかけに心のなかで応えてるということがこれを読むとわかる。ほぼ意識のないヘドベリーとスタントンはともかく、ほかの6人の老人はみんな自分は正常だと思っていて、だからこそ自分たちの扱いに不満を抱きながらも寮母に従ったふりをしたり、おたがい罵り合ったりするのが滑稽さを生むのだけど、同時になにを食べさせられてるのかよくわからないような食事や不毛な作業、危険な騎馬戦、犬の糞が入った小包を回し合うゲームなどをさせられるさまに、なんだか暗澹たる気持ちにもなる。。対応する寮母のページを読むとなおさら、こういうことは日本の介護施設閉鎖病棟なんかではめずらしくないんだろうな、、、となってしまう。
もちろん、この話は最後病気の子供はいなかったんだ的なオチで終わるし、それまでにもすべての章が話を聞こう!→いや、どうでもいいという同じ展開で締められるあまりにもわざとらしいところとか、そもそもこういう構造自体がすべてが作為的なものであることを示唆してはいるんだけど、コミカルかつ虚構であることを明示してるからこそむしろずーん、、となるとこがあった。
ところで、この本は2000年出版で、訳者あとがきにこのあと創元から若島正先生の訳で『不運な人々』が出版されると書いてあるのですが、2021年現在出てないということはおそらく永遠に出ないのでしょう。。。ほかの作品もすごくおもしろそうなのに悲しい。