アイワナビーユアドッグ

夢は既に終わったものもあるけどね

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ひらいて

原作は読んでないので映画だけ観た感想です。
場面写真やあらすじをみた段階では勝手に愛に共感性羞恥を覚えそうな話かな……と思っていたのだけど、意外とそんなことはなかった。それは自分にとって高校生というのがもう遠い昔の話だからかもしれないが、、、。でも、感情の描写が丁寧で、登場人物全員にたいして共感はできる部分もできない部分もあるが理解はできると思えた。高校生たちもだしその親たちにもあーーーーーこういうひといるいる、、、、、ってなったよね。とくにたとえの父親! こういう外面だけ異常にいいやつまじでいる!!!!!!! なおかつ感情の動きを安易に台詞で説明しないのがとてもよかった。でもアイドルドラマやアイドル映画しか観ない若い方々だったらそれがゆえにわけわからんと思ったりするのかな。
原作はまた違うのかもだが、映画ではたとえの存在は媒介でしかなくてあくまで愛と美雪の物語なんだなと思った。そして観たひと全員感じるだろうしなにをいまさらなのですが山田杏奈ちゃん天才じゃなかろうか。みずきが出ていた『荒ぶる季節の乙女どもよ。』のときにも同じことを感じていたけど、その思いをさらに強くした。。荒乙ではそんなに派手ではない、悶々とする高校生の役だったけど、それとヴィジュアルはほとんど同じなのに完全にまったくの別人にみえるのがまずすごい、、ていうかあのドラマも思春期とセックスがテーマだったな。パンフレットを読むと愛の考えてることは全然わからないと言っていて、それなのにあんなに完璧に演じているのが意味不明すぎるしすごすぎる。それに愛は場面に応じてペルソナを使い分けているというか、山田杏奈が演じる木村愛がさらにべつの木村愛を演じている、みたいな場面が多々あるように感じたのだけど、それも本人が同じようなことを言っていたので納得した。
愛はアンビヴァレントな存在で、自分でも自分の感情やパワーを持て余しているように感じられるけれど、むしろそっちのほうが自然というか、、逆に美雪のほうがあまりにも意志がまっすぐというか、自分で決めてしまったことはけっして曲げない頑固さがあって怖いなと思った。。お母さんが好きだからと言っておきながら、親の手前県内の大学を受けただけと言ってのけるその柳のような強さが怖い、たとえはそこに惹かれたんだろうけれども。怖いといえば、美雪の父親は一緒に暮らしてるはずなのに出てこないのもなんだか不気味だったなぁ、、3人とも同性の親しか出てこないのも意図的なものなんだろうけど。
たとえと愛は方向性が違うだけで、本質的には似ていると思うのよね、内にある衝動を愛は発散しようとしているけどたとえは抑え込んでいるというだけで。たとえは愛のペルソナのうさんくささを指摘するけど、たとえも愛と同じくらい昏い目をしている。そこでいやおまえもじゃん、と思うし、告白を嘘くさいと言われて怒った愛が教室を出ていくけど一度振り返って立ち止まる、それはたとえが追いかけてくるのを期待してるから。怒って出ていく行動すらも純然たる衝動からではない哀しさと、そこでいままでと違って望んだ結果にならないがゆえの愛の焦りやままならなさみたいなのがその一瞬だけでよく表れてて、良いシーンだった……。まずしい笑顔だね、のところも、作間は突き放しすぎたくなかったと言っていたけど、逆にそれが瞬間的な怒りこそあれど、たとえの愛への究極的な興味のなさ、どうでもよさを如実に表しているような気がした。
愛だけじゃなくて、全体的に暴力的な好意というのか、そもそも好意というものの暴力性というのか、それもテーマのひとつなのかな。ミカはお弁当を作ってきて渡してるけど、それも押しつけでしかないんじゃないかっていうのがトマトをゴミ箱に投げ捨てるシーンに表れてるし、というかそのトマト捨てるとこであの男の子の無意識にミカを見下してる残酷さ、愛にたいするおまえはほかの女とは違う的な意識も出ていてぐわああああと圧倒された。でもさ、ミカはけなげだよなああああ( ; ; )( ; ; ) そして言わずもがな愛の母親は大量のお菓子を夫に送り続けてるし、たとえの父親は元妻と息子を否定することで自分の支配下におこうとしてるし、そんななかで美雪と美雪の母親だけは暴力性と無縁というか、すべてを受け容れてる、異質な存在なんだな。。
あと、愛は処女なんだろうか非処女なんだろうか?というのが少し気になった。。それによってニュアンスが変わってくるような気がする。この映画ほとんどBGMがなくってそれがよかったんだけど、ベッドシーンだけBGMがあったんだよね。あれは生々しさを軽減するためなんだろうか……違うかな。最初に未遂だったときには愛は執拗に手を洗っていて、それがなんともいえない嫌悪感(美雪へのということではなくて、そういう行為にたいしてだったりひいては自分自身への)を伝えてくるけど、それが愛の孤独が深まっていくのにつれて自分でも制御できないまま少しずつ変わっていく感じ、あと愛が荒んでいくのにつれて部屋が荒れていったり爪もぼろぼろになっていったりとか、ほんとにいちいち細かなディティールの積み重ねで描いてるのが良い。。ディティールといえばたとえの志望校が慶應っていうのも絶妙というか、東京に"脱出"しようとする子供の選ぶ学校としてものすごく納得なんだよ、、、これはもしかしたら東京に近すぎず遠すぎない地方都市の微妙な学校でしか獲得しえない感覚なのかもしれないけど。でもけっきょくどうなったんだろう? 美雪が愛にたとえの合格を告げた日付は2月21日だったけど、それだと慶應にしては発表が早い気がするのだけれども。謎。
杏奈ちゃんや芋生さんは言わずもがなだけど、脇役にいたるまでキャスト全員演技がすごかったな……というのが素直な感想なのだけど、そこに違和感なく溶け込んでる作間がすごすぎて、ジャニィズという場所が作間を縛ってしまうのではないかとか、逆に将来作間がジャニィズという肩書きを枷に感じてしまったらどうしようとすら思ってしまった、、こういう文芸映画(死語?)にすらジャニィズが進出してるってことに少し恐怖というか薄ら寒さを感じないでもないのだけど、でもほかのジャニタレにあてはめようとしてみても無理があるというか、作間だからこそ成立するんだよなあ。うらやましいなぁ。。。でも文芸映画なのに自然におもしろく観られるというのがやっぱりすごかった。
あと、映画館で愛と美雪が映画を観るシーンがあるのだけど、その姿を映画館で観ている自分、というどこかメタフィクショナルな奇妙さがおもしろかった。終わったあとに友達がパンフレットを買ったのだけど、愛が美雪に「パンフレットなんて買うの?笑」って言ってたよねっていうのを思い出したのもふくめて……笑 なので、いがりさんにはぜひ映画館でそれを体感してほしい。というか試写のディスクたからないでちゃんと自分で金払って観ろよ!!笑 あたしも上映してるうちにもう一回行こうかな。