アイワナビーユアドッグ

夢は既に終わったものもあるけどね

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ハン・ガン『ギリシャ語の時間』斎藤真理子訳

美しく、極限まで研ぎ澄まされた文章。相手を攻撃しようとしているわけではなく、ただそこに存在してるだけで鋭く突き刺さるような。これがはたして原文もそうなのか、それとも翻訳のすばらしさなのかわからないのがもどかしいところではあるけれども。
日本文学にだっていろいろあるように、韓国文学とひとくくりに呼んでしまうのはかなり雑であるのは承知のうえで敢えて言うけれど、漠然と抱いている韓国文学ひいては韓国のイメージとは大きく異なる作品だった。ものすごく静謐で、詩的で個人的で、なにかを訴えかけるというよりは内面に深く潜っていく感じというのか。
主人公の男女はおたがい視力がどんどん弱っていったり、言葉が喋れなくなってしまったりしていて、そのことによって世界を失っていくということが物語を貫いているけれど、それだけでなくそれぞれさまざまな過去や苦痛を抱えて生きている。けれど、それを積極的に他人に訴えることはない。かといってそれを完全に受け容れているわけでもない。ただ、そこにそういう状態が存在してるだけ、それ以上でも以下でもないみたいな感じ。ふたりは最後少しだけ触れ合うのだけど、それは結局すれ違いでしかなく、ここからなにかが進展することはないのかなとあたしは感じた。。
と同時に、相手を理解できると思ってしまうことの傲慢さみたいなのも感じた。たとえば主人公の男はかつて、口がきけない当時の恋人にきみの声が聞きたいと言って激怒させてしまう。その一方で難病を患っている友人に、完全に目がみえなくなったらどうするつもりなのかと訊ねられて不快な思いもする。いっけん同じような境遇にあったとしても、だからといってそれだけで理解し合えることはないというあたりまえの事実を突きつけられる。でも、それが強いメッセージになっているわけではなく、エモーショナルな表現は慎重に排除されていて、話が進むにつれてむしろ文章のスピードは落ちていくみたいな、それをゆっくりと立ち止まって味わいたい小説だった。